2011年6月 のアーカイブ

「スリー・カップス・オブ・ティー」でイスラム社会を考える

2011年6月16日 木曜日

本屋のオススメの棚で見つけた。
「スリー・カップス・オブ・ティー」は
アメリカ人がパキスタンの貧しい村に女の子も学べる学校をつくる話。
ドキュメントである。

「一番の敵は無知」であることを実感することができる。
イスラム教やイスラム社会というとすぐにテロリストと直結してしまう自分がいる。
それがいかに偏った考え方か思い知らされる。

地震、原発事故でも、情報に右往左往させられた。
事実を知ることがいかに難しいか実感する。

「人類みな兄弟」
イスラムの方も、ふるさとの大地と家族を大切に思う人々だと知ることができた。
この本に出会えてよかった。

「脱原発」は、「脱消費」へつながるのかな?

2011年6月13日 月曜日

「脱原発」のデモのニュースを見て思う。
「脱原発」は「Welcome 化石燃料火力発電!」なんだろうか?
原発とは種類の違うリスクが、こちらにもあるように思える。
風力、水力、地熱発電なんかは、まだ実用できるレベルじゃないようだし。
脱原発で、段階的に発電方法の依存度をシフトしていくのはわかる。
ただ、「脱原発」で、「いますぐ原発全部止めろ!」ってのはどうなの?

「脱原発」とくに「いますぐ原発全部止めろ」は、「脱電気」だよね。
電気が大量に輸入出来れば話は変わってくるかもしれないけれど。
いままで、電気の恩恵を受けてきた世代が、
「原発あぶねぇっ!もう使うんじゃねぇよ!」って、都合が良すぎる気がする。
「脱電気」は「脱消費」に直結してくるはず。
若い世代、そして、未来へなにかを伝え、残していくには、
ヒステリックな行動はどうかと思う。

とりあえず、なにかアクションを起こせばいいってのも、
考えものだ。

じゃぁどうすればいい?
「考える」しかないよね。

なんか、ぽっとでてきた意見にすぐに乗っかる日本人の悪い癖に
嫌悪感をもっているから、こんなのこと書いたのかもしれません。
結論はありません。ただ、思い悩む日々の戯言。