「若者の〇〇離れ」というニュースをよく見かけるようになった。
いい車を欲しがらない、いい食事をしたがらない、海外旅行もいかない、
など、要は、お金を使わないということらしい。
少子高齢化による日本の人口ピラミッドの変化により、
若者の消費量というものは少なくなっているし、
20年も前の世代と比べると、消費性向も変化しているだろうし、
それが当然だと思う。
ただ、「若者の〇〇離れ」という言葉には、違和感を感じる。
だって、まず興味も示していないのに、「離れた」表現するところがヘンである。
20年前の世代は、経済成長の真っ只中で、生活がどんどん
貧乏から金持ち(中流)へステップアップしていく世の中で、
モノにステイタスをもとめ、それを買うことが、人生のステップアップであった。
マイホームローンもその筆頭だろうと考える。
いまの若者は、ものごころついた時から、いいものをくって、いい車乗って、
マイホームで暮らして、海外旅行も毎年行っていたのだから、
人生のステップアップとしてそういったモノを購入することはないのだ。
「〇〇離れ」は、自分たちと同じように人生を歩んでいるに違いないと思う
過去の世代の願望であり、幅広い視野での思考がストップしている状態である。
危惧するのは、世界展開する企業で、
発展途上国は、日本と同じプロセスで経済発展すると思い込んでしまうことだ。
たとえば、
通信手段は、手紙や電話のプロセスはなく、いきなりインターネットIP電話、携帯電話を使うし、
使うコンピュータは、最新スペックのマシンから使い始めると考えれば、
古いしがらみから「離れ」られない日本人より一歩前を歩いとさえ感じる。
「〇〇離れ」は若者ではなく、
古いしがらみから離れられない私も含めた30代後半の世代に使われるべきではないか?
「〇〇離れ」せよ!