2010年1月 のアーカイブ

「コミュニティ」から「コラボレーション」へ

2010年1月22日 金曜日

自分ポータル」なんてものを作って、
『ソーシャルメディアダッシュボード』っていうんだ・・。」で
ソーシャルメディアダッシュボードってもんがあることを知り、
さらに、Googlewaveを使えば、見るのも投稿も両方できるんじゃないか?と気づき始めた今日この頃である。
最前線の方より、半年ぐらい分、私の進度は遅いようだ。
Googlewaveは、「共同作業ツール?いまいちよくわかんないなぁ」と遠ざけていたけれど、robot、gadgetといったもので拡張していくと、ほんとにいろいろなことができるなぁと実感している。
さらに、IBMでも似たようなものがつくられているようだ。

記事
IBM Project Vulcan=Google Wave+Facebook+BI

同じ興味をもった集団でのコミュニケーションの「コミュニティ」から、
違う興味をもった集団とのコミュニケーションの「コラボレーション」への流れを感じる。
参考:サンプルギャラリー

「世界を知る力」寺島実郎

2010年1月21日 木曜日

「考えること」「インテリジェンス」ということを「世界を知る力」に言い換えるところが、うまい。共感するところは多くある。「世界=アメリカ」みたいな認識は確かに自分の中にも思い当たる節がある。以下、覚書。
「世界の現実」は、たゆっている。
現実は「時間の流れ」の中にあり、また、「見る視点・見る側の解釈」によって違っていて当然である。そして、その違いの相関関係によってのみより深く現実を認識できる。
相関関係を知るには、細部を知り、全体を見渡す。
現場を歩いて見て、現場を離れて見る。
全体観と現場感。
「虫の目」「鷹の目」。
相手との共通認識をもつことは、相手の認識に迎合するのではなく、
「違い」をお互い認識することである。
断片的な情報を「全体知」へ高める動因は「強い意志」である。
これは、データ活用にもいえる。日本のデータ活用は、アメリカの同じようなやり方(システム)をまねているため成熟しない。同じようなやり方ではなく、同じような「意志」を持つことがよりよいデータ活用につながるのではないか?
参考:データ活用 matsuyuta.com

「クラウドPOSデータシステム」の実現も近いのではないか・・・。

2010年1月20日 水曜日

記事
ショッピングサイトが続々Blippyと契約, 先輩Facebook Beaconはなぜ失敗したのか?

きてる。
クラウドシステムからクラウドデータへ」の投稿でも書いたが、「クラウドPOSデータの取得と利用」が進んできたと感じる。
iPhone、Androidの携帯端末のブームに加え、
GPSの位置情報を使ったサービスが増えて
これに、「つぶやき」だけでなく
発信者が情報を加えることができれば、
おもしろいデータが見れそうだ。
改めて時代のスピードを感じる。
「こんなのあったらいいなぁ」が、すぐに実現してしまう。
しかも、世界のどこかで実現したことを、すぐに知ることができるなんて。

「ソーシャルメディアダッシュボード」っていうんだ・・。

2010年1月11日 月曜日

記事
ソーシャルメディア・ダッシュボードを目指すHootSuite、$1.9Mを追加調達

以前、BLOGに書いた記事「ソーシャルネットワーク連携について」で「自分ポータル」なるものを作って悦に浸っていたが、すでに似たようなサービスがあると分かった。
その名も、「ソーシャルメディアダッシュボード」。
ソーシャルメディア、ソーシャルサービス、ソーシャルネットワークとどのように呼ぶのが正しいのかよくわからないが、この記事では、「ソーシャルメディアダッシュボード」となっているし、英語もこういう表現であればこれが正しいのかもしれない。
ちなみに、ソーシャルメディア・ダッシュボードは、各ソーシャルメディアに寄せられたコメントをまとめて見るという使い方をする「見るツール」のようだ。(実際にはまだ使ってない・・・)まとめて「書き込むツール」としては、各ソーシャルメディアのAPIでの連携機能を使うしかないようだ。
ソーシャルメディアのビジネスで面白いと思ったのは、他社が持っているマーケットシェアの奪い合いをしていくのではなく、未開のマーケットを開拓し合って、連携によって共有しているという感じがするところだ。
このマーケットでは、「ひとり勝ち」するより、細分化されたマーケットで、独自性を出していく方がビジネスチャンスに結びつくのではないかと考える。利用者が、複数のソーシャルメディアのアカウントを持つということは、マーケットのパイは分け合うのではなく、コピーできるというイメージに近いのではないか?

設計品質 ~LED電球を買ってみて

2010年1月10日 日曜日

実家で、母が電球の交換をする際、危険を感じるようになってきたので、少々値が張ったが、LED電球を購入した。宣伝文句では、「1日8時間使用で、10年取替不要。」40,000時間も設計寿命があるとのことだ。20~30Wのもので、3580円(Panasonic)だった。
10年は取り替えなくていいみたいなことを母にしたら、
「私より長生きするんじゃない?確認できないわね。」
のようなことを冗談まじりに言っていた。
・・・確かに。
設計寿命は半分で値段も半分であった方がよいのではないか?と考えてしまった。電球の寿命が長いのは非常にメリットがあるが、40,000時間の設計品質はどうなのか?生産側の都合を消費者に押し付けてはいないだろうか?
高齢化社会になって、お年寄りの世帯が増えて、電球の取り替え作業が減るのは大きなメリットだが、電球がキレていることも、隣近所からみれば、「電気がついてるから、まだ生きてるな」的な確認もできる。こういった場合、電球の長寿命は考えものだ。電球の交換ぐらい地域の自治体で協力してできないものか?さらに、技術の進歩の速さを考えれば、10年もたたずに、もっと省エネできる電球が開発されるかもしれない。そういったことを鑑みて、設計寿命はもう少し短く設定されるべきではないか?
あぁ、でも、電球がキレているかいないかで生存を確認するんじゃなく、人と人のコミュニケーションを活発にさせればよいのか!
なんてことを、LED電球一個買うのに
いろいろ考えてしまった。
参考:
品質の定義
LED電球はどれがベストなのか